• おくま亮を応援しよう
  • 20代、30代の意見やアイディアを直接議会に届けます

志した理由

おくま亮あいさつ画像

考えすぎた子供時代

幼少の頃から思慮深く、何事に対しても「考えすぎる」子供であった。 両親に、「僕は生まれる前は何をしていたの?」「しんだ後はどうなるの?」等とよく質問していた。
小学生の頃、バスケットボールの魅力にとりつかれる。 当時、小禄小学校にバスケットボール部がなかったため、担任の先生に顧問を願い出て、
バスケットボール部を立ち上げてもらう。そしてキャプテンに就任。
金城中学校に入学し、部活動に明け暮れる。 この頃から、思春期(モラトリアム)が始まり、表向きでは友達と楽しく遊ぶが、
家に帰ると両親に反抗し、思い悩む日々が続く。  「なぜ僕は生きているのだろう」「僕が生きている意味はなんだろう」  「夢もない、なりたい職業もない」「生きていたくない」 等と思いつめ、悩み、心の中ではつらい日々を過ごす。
そんな思い悩む日々の中でも「とりあえず、目の前のことは全力でやろう」と心に決め、
表向きでは友達と楽しく過ごし、「文武両道」を目指して、部活動と勉強に全力をそそぐ。
中学校を卒業し、部活動も勉学も盛んな那覇高等学校へ入学。 再び部活動に明け暮れるが、高校生になっても、家に帰ると思い悩む日々が続いていた。 部活動を引退後、進路に迷うが、父が言った「なりたい職業が見つかっていないなら、
とりあえず勉強して大学に行け。しかし、うちはお金がないから、
県内の国立大学しか授業料は払えないぞ。」 との一言で、大学進学を決意。 必死の受験勉強を経て、琉球大学法文学部に入学。

大学生活、そして突き抜ける日が訪れる

琉球大学入学後、授業料と生活費とを稼ぐため、アルバイトに励み、講義とアルバイトの毎日。 大学入学後も、思い悩む日々が続き、モラトリアムから脱せずにいたが、 小中学生の頃からずっと好きだった「社会」「歴史」「公民」の科目の延長として、 当時から政治の面白さに目覚め、自主的に勉強し、趣味のように勉強を続けていた。 また、その一環で、休みの日には、沖縄の史跡や戦跡、平和祈念公園、
ひめゆりの塔、白梅の塔、二中健児の塔などをまわった。
そして、硫黄島の戦い、沖縄戦を学んだ時、
中学生の頃から苦しいほどに思い悩んできた「私はなぜ生まれてきたのか」
「私の生きる意味は」という問いに答えが出た。
命は尊い。本当に尊い。 なぜ尊いかというと、命というのは聖火のように、先祖代々から繋いできた「ともし火」であり、
そのともし火は、人ひとりに一つしかないからです。
人生というのは一回しかないのです。
どんなに大金持ちで幸せな人でも、貧しい国で生まれ餓死してしまう子供も、
沖縄戦でなくなられた方も、ひめゆり学徒隊の方々も、
そして私たちも、 人生はたったの一回しかないのです。
その事に私はやっと気付きました。
そして次に、「一回しかない人生をどう生きるか」 「先祖から繋いできた尊い命のともし火を、自分はどう生き抜くか」を考えました。 あの悲惨な硫黄島の戦いや沖縄戦でなくなられた人々や、学徒隊、鉄血勤皇隊の方々は、
一回しかない人生を、どう生きて、どうなくなっていったのだろう。 自分のことだけを考えただろうか、自分のためだけに行動しただろうか。 そんなはずはないのです。
私はこれまでの20数年間の人生を振り返りました。 そこで自分は、家族、親戚、友達、同僚等、周りの人々に支えられて生きてこられた事に気付きました。周りの支えで「生かされてきた」のです そして、この世界でも有数の豊かな日本国、沖縄県、那覇市という環境と、 私に関わってきた全ての方々、まだ関わっていない全ての方々に対して、感謝すると共に、
私は一回しかない人生を、「恩返しの人生」にすると決めました。 これまでを振り返ると、友達との関わりや部活動を通して、友達のため、チームのためを想う時、
夢中になっている自分がいたのを思い出しました。
私は友達が大好きでした。
正直、思いつめた学生時代、私の心を救ってくれたのは、なによりも友達の笑顔だったからです。
その友達やチームのことを考えた時、自分のことは構わず、
無我夢中で友達のために一所懸命になっている自分がいました。
私は、思い悩んだ苦しい思春期から、やっと突き抜けたのです。 私は、一回しかない人生を、 「人のために生きる」「世のため、公のために生きる」 そう決めました。 それが私の生きる意味、生き方だと確信しました。 これまで、自分のことだけを考えていたから、苦しかったのです。
しかし私は、「世のために生きること」を肯定し、
「自分だけのために生きること」を否定しているわけではありません。 誰もが、自分のため、自分の家族のために生きて、幸せになるべきです。
私の場合は、それだけでは納得できなかった。
私は、前職である警察官を辞める際、そのまま仕事を続けていれば、家計の収入も安定していましたし、
それなりに休日もあり、家族と余裕のある生活を送ることもできました。 しかし、自分の幸せ、自分の家族の幸せだけでは納得いかなかった。 私は警察官という仕事を通して、那覇市に、沖縄県に、日本に、そして世界中に、
苦しんでいる人や、自分のことを「幸せではない」と感じている人々がたくさんいることを学びました。
私は、これまで周りの人々や、この社会で幸せに生かされてきたのに、
その方々を黙って見過ごし、見て見ぬふりをして、
自分だけ幸せに生きていくことに、納得できませんでした。 どんな人でも、人生は一回しかないのです。 その一回限りの人生、私は人のために生きていきたい。 一生かけて、世のため人のために恩返しがしたいのです。

人を幸せにするためには

では、人のために生きるには、どうすればいいか、どんな方法があるのか、
大学4年生の時に考えました。 私は、どんな職業であっても 「人のためになる」「人を幸せにする」 可能性を秘めていると信じています。
例えば、大工さんは、立派な家を作って発注した家族を満足させることができる。 整体師の方はお客さんの体の調子を良くし、健康にしてくれる。 飲食店を経営される方は、美味しい料理をつくってお客さんを喜ばせることができる。
良い商品や良いサービスを提供して、会社の収益を上げて、市町村、都道府県の経済に貢献する等、 どんな仕事や職業であっても、人のためになる、人を幸せにする可能性があると思います。
その中で、自分はどういう方法で、世のため人のために生きていくのか、色々考えました。
一度お坊さんになろうかとも考えたこともありました。 しかし私は、大学生になってから自主的に政治の勉強をしていたことから、 政治というものが人々の生活に対していかに影響を与えるか知っていました。
私たちが生きているこの世界は、国家という枠組みで動いており、
その国の政治が、その国民の幸福を大きく左右します。 しかし「幸せ」というものは、大変難しいものです。 どんなに条件がそろっていても、その人が「幸せだ」と感じなければ、幸せではないからです。
政治が良ければ必ず国民が幸せというわけではありませんが、 果たして、発展途上国と呼ばれる国家は、 自ら努力して幸せになれる環境があるでしょうか。
つまり「人が幸せになる」ためには「国家の安定」や「良い政治」が必要であり、
私は、政治こそが人を幸せにできる最大の可能性を持っていると信じています。
ですから私は、政治に関わる仕事がしたいと思い、
政治学者、社会学者、新聞記者、政治家の秘書になろうか、色々と考えましたが、 これらの職業の方々がどんなに頑張っても、世論がどんなに高まろうとも、 最終的には政治家がしっかりしなければ、政治は良い方向に進まないと気づき、
それと同時に政治家というものがどれだけ責任のある仕事であるかという事も認識しました。

政治家になることを決意

そして、大学4年生の時、政治家になることを決意しました。
しかし日本では、まず25歳にならないと政治家にはなれませんから、 それまでの間どう過ごすか考えました。 まずは、大学卒業後に社会に出て、就職して働き、世の中を知ろうと考えました。
民間企業も考えましたが、やはり私の原点である「公のために尽くす」という考えから、
公務員として働くことを決意しました。
その中でも、社会の光と影を見ることができ、自分の命をかけて人を護る職業、
警察官になろうと思い、勉強して、警察官として働くことができました。 かけがえのない仲間、後輩、先輩、上司に支えられ、厳しい訓練や日々の業務を遂行し、
県民の安心・安全のために一所懸命働くことができました。
就職し、結婚して子供も生まれ、自分の家族も安定した収入で支えなければならず、
「政治家となって人のために生きる」という目標も、諦めようかと頭をよぎったこともありました。 しかし、社会に出て、警察官として働いて、ますます政治の重要性を感じましたし、
日々の仕事を通しても、行政が取り組むべき課題や、政治に対する強い思いが募ってきました。
たとえば、発展途上国の飢えに苦しむ子供が、今まさにお腹がすいて苦しんでいる状況を目の当たりにしたときは、まずご飯をあげなければなりません。 しかし、それだけでは本当に子供を救うことはできません。 なぜなら、1回ご飯をあげても、その子はまたすぐにお腹がすいてしまうからです。 飢えに苦しんでいる子供にご飯をあげる事は、命を救うことなので非常に大切ですが、
何回も何回もご飯をあげても、それは本当の問題解決にはなりません。
本当に問題を解決するには、その発展途上国がもっと豊かになる、
あるいは餓死者が出ないような政治を行う他ありません。
つまり、食べ物に不足しない「環境」や「社会」をつくらない限り、
本当の意味で子供を救うことにはならないのです。
私の前職は、まさに目の前で苦しんでいる人を救い、護る仕事であり、
世の中に絶対必要な仕事です。
それと同時進行で取り組まなければならないのが、政治です。 その発展途上国を豊かにすること、つまり食べ物に不足しない「社会」や「環境」をつくるということが、まさに「政治」であり、政治が良くならなければ、根本的な問題解決はできません。

一生涯かけて尽くしていく

私は、政治家として一生涯奉公する道を選びました。
今、私たちは生きる世紀は、大きな転換期にきていると思います。
しかし、大きな転換期にも関わらず、国内の選挙の投票率は40%から60%の間がほとんどであり、
有権者の意思が十分に示されていません。
特に20代から60代まで各世代を比べた時、
一般的に、若い世代になるにつれて投票率が下がっています。
もちろんこの結果だけで、政治に対する関心の高さを判断することはできませんが、
若い人ほど投票率が低いという事実は、憂慮すべきことです。
なぜなら、高齢者の投票数が多く、若い人の投票数が少なければ、
政治家は、高齢者が求める政策しか実現しなくなるおそれがあります。 若い世代に有益な政策や、若い人の声は、無視され、ないがしろにされてしまう。
ですから、今こそ、若い人の意見を真摯に聞く、若い人と同じ目線の政治家が必要なのです。 そして、若いうちから議員として働き、経験を積んでいく政治家が将来必要になってきます。 そして、政治というのは、政治家だけがやるものではなく、
私たち一人一人が考えて、議論し、決めていくものです。
政治家は自分の理念をもとに、
みなさんの声を聞き、一緒に話し合って、政策を実行していかなければならないのです。
私は、那覇市を、沖縄県を、日本を、世界をもっともっと良いものにするため 一生かけて公に尽くして参ります。
いわゆる「安定した仕事」である公務員を辞めても、妻子がいても、 それが宿命だと感じたからです。
平成25年7月21日、第19回那覇市議会議員選挙におきまして、皆様のおかげで皆様の絶大なお力を賜り、初当選させて頂きました。一生かけてみなさんの「幸せ」のために尽くして参ります。
もし、この私の考えをお読みになって御賛同される方がいらっしゃいましたら、 ぜひ、いつでもご連絡下さい。一緒に考えましょう!